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仏教を「信じる」という言葉は適切か

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01 taizoukai l

みなさんこんにちは。

てっかまきです。

こんなまとめがありました。

実質的に唯一神とかがないものをどうやって信じる

確かに仏教って「信じる」類のものではない気がするね。「教わる」が正しい気がする。

論理的に説明されているものを理解することはできるが、 論理的に説明されていることを信じるとは言わないと思う

数学の教科書を信じるとは言わないのと同じで

確かに仏教ってある種、論理的な部分がある。

確かお経の中に、お釈迦様と数学者が問答してるようなのがあるって聞いたことがある。

色即是空の話とかめっちゃ論理的やんか。

材木と瓦を持ってきただけでは家はない。建てて初めて家ができる。バラバラに壊したらまた無くなる。だから家には実体がない。

とか論理そのもの。

理解するための大前提は信じるしかないだろ 例えば諸法無我とか諸行無常とか縁起とか

数学で言う公理みたいなものか? 公理を「信じる」とは言わんだろう。公理は「仮定する」ものだよ。

まあ正しく言うなら帰依か 大乗仏教の本丸も即身成仏だしな

なるほど。他力本願みたいなことか。

確かに日本で始まった浄土宗とか浄土真宗とかは、阿弥陀仏による往生を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えよ、みたいな教えだから「信じる」っていう言い方が正しいかもね。

「信じる」ということは何かを「求める」ということであり、 仏とは離れたところへ行ってしまう

これは深いなぁ。「悟り」とは「欲を捨てること」だもんね。

これ聞いた話なんだけどね。食欲や性欲はすぐに慣れるけど、名誉欲を捨てるのが一番きついらしい。

釈迦は「死んだらどうなりますか?」と聞かれて「そんな考えても分からないこと考えてないでどうしたら今幸せになれるか考えなよ」と言った

お釈迦様のこういうところが好きなんだよねw わからんことはわからんという。

神もなし、死後の世界もなし。他の宗教と比べたら異質ですよね。

まあ、ここは日本だから日本の教えに沿って「南無阿弥陀仏」って唱えながら阿弥陀仏を信じてればいいのかもしれないね。

そうすればきっと往生できるよ。

ではでは。

See You!

コメント

  1. アルテア より:

    すごくはしょってます(浄土真宗)
    人間はどんなことをしても自ら欲を捨てることはできない(自力本願は不可能)
    →それを理解する
    →その人間を救済できるのは阿弥陀仏(他力本願)と理解する
    これが「仏に会う」ということ。
    信じてただ南無阿弥陀仏って言うよりも
    いかにして「仏に会う」ことができるか、が重要

    • てっかまき より:

      なるほど。「信じる」というよりは「理解する」というほうが正しいんですね。
      それもすごく難しそう。仏教は奥が深いですね。

  2. ボギワン より:

    仏教は宗派によって考え方は別々ですしね。
    ちなみに、元の書き込みとか見ましたけど、本来「仏教を信じる」と言った場合の「信じる」とは「信仰する」と同義と考えるべきなんだけど、その点をあえてなのか無視してる感じがしました。
    まぁ、言葉遊びをされてるような内容なので、そこを突っ込むのは不粋かも知れませんが。(^_^ゞ

    • てっかまき より:

      なるほど、合点が行ったような気がしますね。
      「信仰する」ならば「疑わない」という意味の「信じる」とは別ですよね。
      「理解する」とか「教わる」という言葉とも相反しない。
      いや、あえて無視してるのではなく、気づいてないんだと思いますよw
      これはなかなか難しいです。